見ずに信じる者は幸いです@ヨハネ20:29
用意するもの:木、スポンジ、白い布、石
5sense :5感って聞いたこと、ありますか?
それは、見る力、聞く力、触る力、嗅ぐ力、味わう力です。
これがあるから、私たちは周りに何があって、どうなっているのかがわかります。
でも、この5つの力があっても、どうしてもわからないものがあります。
それは神様だと思います。
見る事も聞く事も触ることも嗅ぐことも味わうこともできないからです。
教会学校でトマスさんのお話を聞きました。
トマスは自分の目で見て、自分の手でイエス様の傷を触らない限り、
イエス様がよみがえっただなんて信じない、と言いました。
その後、イエス様はトマスの目の前に現れて、
トマスは「私の神様」と告白することが出来ました。
そして、イエス様はその後に、見ないでも信じる者になりなさい、と言われました。
私たちはイエス様を見たくても見られません。
今日は、そんなみんなに色々なものを持ってきましたよ。
これを見て、触って、イエス様の事を感じてみたいと思います。
1.木
これは、イエス様の十字架の木を表します。
十字架は、聖書で一番大切なストーリー。
嘘もついてないのに嘘つきと言われ、
悪いことしてないのに、十字架につけられました。
その十字架は木で作られていました。
木を触るとき、私たちのために十字架につけられた
イエス様のことを思うことが出来ます。
2.スポンジ
これは、酸っぱいぶどう酒が含まれた綿を表します。
イエス様が十字架につけられた時、イエス様はのどが渇き、痛くて苦しんでいました。
そこにいた兵士が綿に酸っぱいぶどう酒をつけて、
イエス様の口の近くに差し出しました。
イエス様はそれを口に含まれました。
何で十字架で苦しまなければならなかったのか、わかる?
それは、私たちを愛し、私たちが神様のところに行ける道を作るためでした。
スポンジを触るとき、私たちのために苦しんだイエス様を思うことが出来ます。
3.布
これは、死んだイエス様の体をくるんだ布を表します。
十字架につけられたあと、イエス様は死にました。
アリマタヤのヨセフさんがイエス様の体を引き取り、
布で綺麗に巻いて、お墓の中にいれました。
大好きな人が死んでしまい、その体を布で巻いているとき、
どんな気持ちだったでしょうか。
布を触るとき、私たちはイエス様が死なれた事を思うことが出来ます。
4.石
これは、イエス様のお墓の入り口の石を表します。
昔のお墓は洞窟のようになっていて、そこに石を転がして蓋をしました。
マグダラのマリヤは、イエス様のお墓に行ったとき、この石が横に転がされ、
イエス様がいないことを知りました。
イエス様はよみがえられました。
石を触るとき、私たちはイエス様がよみがえられたことを思うことが出来ます。
このように、どんなに小さなことからも、
私たちの気持ち次第でイエス様を感じることが出来ます。
見ないと信じない、といったトマスのようではなく、
見なくても信じますと言える子供として歩みましょう。
参考サイト: